霊能者と霊の世界について
鎮魂と安寧をもたらす霊能者
電話占いの霊能者が行う鎮魂とは
電話占いの霊能者が行う鎮魂とはなんでしょうか。また、どのようにすればよいのでしょうか?魂を鎮める、という意味ですが具体的には多種多様な方法があります。まず思い浮かべるのは読経です。僧侶の誦読によって霊を鎮める方法です。お経には仏教の考え方が書いてあります。仏教の考え方の根本は「慈悲」ですから、慈悲の心で生前の辛い思いを忘れ、生きている人を見守ってほしい、という気持ちが込められています。霊はそれを聞き、穏やかに眠るわけです。それは、生前、敵味方であったとか、憎しみ合ったとしても変わりません。難しく言うと仏教の用語で怨親平等、平たく言えば、よく「亡くなればみんな仏様」と言いますね。
さて、いにしえから行われていた鎮魂の例を見てみましょう。日本の三大怨霊の一人と言われている、「崇徳院」の鎮魂について紹介しましょう。崇徳院は平安時代末期、保元の乱の首謀者で敵対する後白河天皇に敗れ、四国の讃岐に配流になり、無念のうちにその地で没した皇族です。敵方の後白河の対応は丁重で、配流された場所の名を取って「讃岐院」と呼ばれていた崇徳院に諡号を贈ります。それが「崇徳院」という名前です。また、寺で法華八講が催され、祠を崇徳院の邸宅のあった場所に建立します。さらには配流先である讃岐にも祠を建立し、御陵の整備が行われました。また、そのころ大地震があり、鎌倉の源頼朝は崇徳院の祟りだと言って鶴岡八幡宮で祈祷させたと言われています。
その後、崇徳院の怨霊の記事は徐々に無くなっていきます。崇徳院の怨霊はそもそも誰がそれを感じ、語ったのでしょうか。一説によると、藤原教長という人物であったと言われています。保元の乱以後、仏門に入り高野山に行きました。そして、度重なる都の事件に崇徳院の怨霊を感じて後白河法皇に鎮魂を働きかけたのです。彼も電話占いの霊能者のように、霊能者としての能力を備えた一人なのでしょう。
もう一つは、耳なし芳一で有名な平家の怨霊です。栄華を誇った平家一門が壇ノ浦で無念の最期をとげた後、朝廷での供養とともに、各地の天台宗系の琵琶法師がその物語を語りはじめました。つまり、平家一門の活躍や行動を語る事で無念さを広く知らしめたのです。それを聞いた人々は感動するとともに、同情して涙を流したことでしょう。琵琶法師は盲目ですから、耳で平家の怨霊の声を聞き、シンクロして語ります。僧侶であるのにお経ではなく、平家の人々の生きざまを語るところに特殊性があります。しかし、考えてみれば、私たちが亡くなった人を偲んで生前の様子を話す事とかわりは無いように思えます。崇徳院の語り部である藤原教長の例も同様です。高野山で仏門に入り、電話占いの霊能者のように、霊能力を高めたものと推測されます。
安寧を得るには
聞く、語る。その二つの行為が鎮魂に繋がる大事な要素であるようです。しかし、私たちは琵琶法師や藤原教長のような霊能者や、巫女のような霊媒体質は無い場合が多いのではないでしょうか。中には、条件さえそろえば異界の声が聞こえる人もいるかと思いますが、例えば電話占いの霊能者のように常に安定した能力を発揮できる人は少ないかと思います。しかし、電話占いの霊能者のように異界の言葉を聞くことができれば禍や恋愛、友人関係、夫婦関係、仕事などの悩みを解きほぐすことができるかもしれません。そして、心からの安寧、安心を得ることは現代人にとって必要なことです。
そのキーワードは聞く、語る。いにしえから続く知識から判断すると、二つの簡単なことで良いのです。もちろん、心をこめて語る、聞くことが大切であることは言うまでもありません。平安時代と違い、昨今では電話占いで霊能者や霊視占い師の言葉を聞くこともできます。もちろんインターネットもありますので、電話占いのサイトの中で口コミでの評判が高く、当たる電話占いの霊能者も検索することが出来て、便利な世の中といえます。これを活用するのも一つの安寧を得る方法です。